お大事に

2025/12/07

「大事にしまっておきなさい」「では、お大事に」「それは一大事だ」など、 大事の登場する会話はいくらでもありますが、あらためて「大事」という語について考えてみたことはありますか?
 禅宗では、師匠が弟子に印可(修行が成就したことを認めること)を与えると、 その就として「大事」と名づけられるものを渡します。実は、その中味こそが大事そのものなのですが、 これは仏法の根本精神を図示したもので仏法の大要を表したものに他なりません。
 元々「大事」とは、一大事因縁の略で、仏がこの世に出現されたことの本懐(ほんかい)(本望・本来の目的)を指す語でした。つまり、すべての人を導き悟らせることがそれに当ります。私たちからいえば、仏法僧の三宝に帰依して自分の心に悟りを得ること、これが大事の正体なのです。
 昔、インドのコーシー国という国に三人の王子様がおりました。ある日のことハンニャタラ尊者という方がこの三人に宝の玉を見せ、こう尋ねたのです 「この世にこの玉に勝る宝がありますか?」と。それに対して、至ヒの二人の王子様は「これはすばらしい宝だ。その玉に勝る宝などありません」と答えましたが、三番目の王子様は「それはすばらしい宝だけど火事や水害で無くなってしまうかもしれないし、盗まれてしまえばそれまでです。火も水も泥棒も、どうすることもできないものが本当の宝です」と答えました。
 ハン二ヤタラ尊者はびっくりして、「そんな本当の宝が一体どこにあるのですか?」と聞くと、その王子様は「それは心です」と答えたといいます。
 この三番目の王子様こそ、のちの達磨大師その人なのですが、そう言われてみれば、本当に心こそどんな金銀財宝にも替え難い大切な宝だといえましょう。そして、その大切な心を悟らせることこそ一大事なのです。
 私たちも、大事なものの順番を尋ねられたとしたら、本来の大事たる自分の心を悟らせることを、まず一番に数えたいものですね。

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