👣ソクセキ

2026/01/09

「先賢の聲蔬をしのぶ」とか「偉大な足跡を残す」とかいう表現がありますね。<アシアト>と読まずに<ソクセキ>と読むと、歩いた跡という単純で即物的な意味から、比喩的で象徴的なもの、つまり人が成し遂げた行為や業績を表す語になるようです。先日見た刑事物ドラマでは、鑑識係りが「ソクセキはとれたか」と言っていましたから、警察用語では足跡をソクセキとしか読まないのでしょうか。それはともかく、「足跡」という語に、<歩いた跡>という意味と、<行為・業績>という二つの意味があることはまちがいありませ ん。ここでは後者、 つまり「足跡」が行為?業績という意味を兼ねるようになった理由について考えてみたいと思います。
 初期の仏教教団には、仏像というものはありませんでした。お釈迦様を慕う考よ、仏陀がお歩きになった道を辿ってみたり、仏陀がお座りになった場所に行き、そのお姿をイメージしながら礼拝したりしていました。しかし、足跡を 辿ることは簡単ではありません。そこで仏陀の足跡(足の裏)を刻みつけた仏足石なるものを作り、これを礼拝し始めたのです。最古の仏足石は、紀元前 二世紀に作られたバールフートの欄(らん)楯(じゅん)に見られるもので、この世と仍利天(とうりてん)を 繋ぐ梯子の上下に仏足石を置くことで、仏陀がこの梯子伝いに上下なさったことを暗示しているのだそうです。その後、ギリシャ彫刻の影響を受けて仏像が刻まれるようになってからは、仏足石と仏像が共に信仰の対象となってきたことは言うまでもありません。ちなみに、日本最古の仏足石は薬師寺のもので、奈良時代に作られたものだそうです。
 さて、ここまでお話し申し上げれば、「足跡」がどうして人の成し遂げた偉大なるものを表すことになったのかを容易に推定できるでしょう。仏教徒は仏陀の足跡をイメージすることで、その偉大な一生を偲んでいるのです。私たちも、生きた証とも言うべき足跡を、人様から思い出してもらえるようなー生を過ごしたいものですね。自分のつけた足跡を辿ってくれる人が現れるようなら、それこそ最高です。

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