道理とは

2026/03/27

「それが道理だ」とか、「どうりで〇〇だ」などとよく使われる「道理」という語について考えてみましょう。
 仏教辞典で「道理」を引くと、〈物事が存在し変化してゆく時、必ず依遵されている決まり〉と、何やら難しい説明がしてありました。それに釣られてというわけでもありませんが、以下の説明も少し難解になるかもしれませんが、おつきあいください。
 道理とは、生滅変化する一切の万有をつらぬくもので、人間はもちろん、たとえ神仏であっても、それを曲げることはできないものです。解深密教には道理の四種として以下のごとく説かれています。観待=すべてのものは他に依存するということ。作用=すべてのものは自ら働きながら生滅してゆくとい、つこと。誠成=そうなるにはちゃんと証拠があるとい、つこと。法爾=生あれば死あり、因あれば果ありというあるがままのことわりのこと。私たちは、この生死や因果や道理を絶対にくらますことはできないのです。昔、中国の百丈山に一人の修行者が住んでおりました。ある日のこと、学人が訪ねてきて、この修行者に「大修行する人は因果に落ちるかどうか」と尋ねました。この問いに対して修行者は「落ちない」と答えてしまったため、以後五百生の間、野狐に生まれ続けることになりました。さてその後、この百丈山に百丈禅師が住した時この狐があらわれ、百丈禅師に一転語(悟りへ導くための短い言葉)を求めました。禅師は「因果をくらますことはできない」と答えられたのです。この一転語によって、修行者は野狐身から脱することができたそうです。
 この逸話は、「道理」というものの一貫性、厳密さを語っているようです。本当の聖者とは、この真実の理を覚ったものへの呼称です。私たちは、いずれにしろ道理に従って生きるしかないのですから、道理に縛られるのではなく、道理とともに、いや、道理を先取りして生きるようにしたいものです。このような積極性があるかないかで、人生の明暗が決まるような気がします。

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