2026/05/15

日常・日用・非常
私たちの世界にあるすべてのものは時間とともに変化し、一刻たりとも同じ状態であるということがありません。ただ、変化するスピードが速いか遅いかの違いで、岩でさえもやがてボロボロになる時がくるのです。このように、生滅変化して常で無いことを諸行無常と言います。そして、物事の常に非ざることを「非常」と言い、変わらぬ真理を「常」と言います。
仏教的に言えば諸行は無常なのが当り前であって、あえて変わらぬものといえば、十方常住の三宝と、人々の心に本来そなわっている常円の月くらいなものでしょう。ところで、常・非常の意味も時とともに変化し、毎日毎日似たような変化を繰り返していることを、常の毎日の変化→日常茶飯事と言うようになりました。物事が、私たちの承知しているようなありふれた変化をするのが「日常」というわけですね。さらに仏教では、世俗生活中の日々の心のはたらきを日用」と言いますので、一般語として普及するうちに「日用」と「日常」が混同されてしまったようです。そして「日常生活」とか「日用品」などという言葉もできました。
一方では「非常」の方も意味が変化しまして、常に非ざるということから、常日頃に見慣れている変化と違う変化、日常にはあまり起らない変化の仕方を指して「非常」と言うことになったようです。したがって、「非常事態」と言えば常にはない事態を指し、「非常に大きい」と言えば、いつもなら見られないほどの大きさということになります。
さて、冒頭の「諸行無常」という語に戻りますが、諸行は無常だからこそ良い、とは考えられないでしょうか。いつまでも常のままで変化しないなら、子供はいつまで経っても子供のままでしょうし、病人は病人のまま、貧乏なら貧乏のままということで、夢も希望もなくなるでありましょう。私たちにとっては、好ましい変化とばかりいかないのは残念ですが、すべては縁起という真理に従って生滅変化しているのですから、いたずらに慌てることなく心を落ちつけて、無常なる諸行に対処してゆくことが肝要です。

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