俺たち

2024/04/05

おれ・おのれ・われ
「これらの語は、今では一人称男性を指す言葉として使われることが多いようですが、昔は二人称として女性にも使われました。人称や性に関係なく、自分以外のものに対しては自分自身、全体に対しては個々を指す語だったということですね。「おれ」や「おのれ」を漢字にすると「己」となり、己界といえば自分自身の世界を指します。この「己界」がどのようになっているかは、重要な問題だと申せましょう。「一切のものは、ただ自己の心に現われたもの」だからです。それ故、自分が地獄に住むのも極楽に住むのも、自分の心次第となります。阿弥陀さまもお浄土も、自分の心が現わしているものに他なりません。 この阿弥陀さまを〈己心の弥陀〉と申します。また、「われ」を漢字にすると「我」で、行為の主体としての自己を指します。永遠不滅の本体と言ってもよいでしょう。仏教では、「己」や「我」の存 在を積極的に認めておりますが、その「己」や「我」は「己れ未だ度らざる 前に一切衆生を度さん」という「己」であり、天地・真理と一体になった「大 我」でなければなりません。ところで、良寛さまの逸話にこんな話があります。良寛さまは忘れっぽくて、よく自分の持ち物をどこかへ置いてきてしまうのです。そこである人が、 「良寛さま、自分の持ち物には名前を書いておかれたらいかがでしょう」とすすめました。そこで良寛さまは、素直に自分の持ち物に「おれがの」「おれ がの」と書き込んだそうです。持ち物に個人名を書くのは執着のあらわれですが、なるほどこれなら誰が持 ち歩いても通用しますね。さすがは良寛さまです。私はこのお話を知った時、以前に古本を買ったところ、個人名が記入してあったため二束三文の値段だったことを思い出しました。小我を捨てて大我をとり、小己を捨てて大己をとる。そして自分の命を全体に和合させて、大人物の道を歩むことにいたしましょう。

お問い合わせ

お問い合わせやご質問等についてはこちらよりお願いいたします。
また、毎月の鬼子母神講(毎月8日 午後7時)や七面さま講(毎月18時 午後2時~)へのご参加も
心よりお待ちしております。

日蓮宗 妙栄山 法典寺
〒418-0023 静岡県富士宮市山本371-1
Tel.0544-66-8800
Fax.0544-66-8550


pagetop