修業・修行

2025/04/04

あるとき、たまたま私が人さまの前で「修行」のお話をさせていただく機会がありました。そこで、まず黒板に大きく「修行」と板書した時に、一人の教養ありそうなご婦人から「しゅぎようのぎようは<業>という字を書くのではありませんか」というご指摘を賜りました。それに対して私は、「坊さんのしゅぎようには<行>という字を用います」と答えたのでありましたが、 私自身、その使い分けに自信がもてませんでしたので、その後で調べたことをご披露したいと思います。
 現今の国語辞典によりますと、修業とは、学業や技術などを習い修めることであり、修行とは、そうして習い修めたことを身につけて実行することだとあります。そして、修業には修行のような<自分を鍛える>という深い意味 はないのだそうです。
 ところで、実はこの修業も修行も実は仏教語でありまして、「修業」とは業を修める(調える)こと、「修行」とは仏道を修習行作(しゅじゅうぎょうさ) することを言います。自我偈には、仏の慧光や寿命は久しく修業して得られたものであると説かれ、私たちも仏道を修行して速かに仏身を成就すべきことが示されております。
 そういう経文をふまえて本当の修行とは何かということになりますと、解釈や方法がたくさんあって大変なことになりますので、ここではその一例のみを申し上げることにいたしましょう。
 「修行とは行を修める(よく行う)ことで、身と口と意をつつしみ、十の善き行ないを実行することを言います。すなわち、殺生・偸盗・邪姪・妄語・綺語・悪口・両舌?慳貪?瞋恚・邪見の十悪を遠ざけることが基本となります。「修業」と「修行」の別のわかりやすい解釈としては、修業年限何年と表現 される学校時代は修業の期間、そのあとの人生は全部年限に制限のない修行の期間と心得て、一日一日を精一杯生きてゆくことにいたしましょう。

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