宿世・宿業・宿願

2025/04/11

「宿世」「宿業」「宿願」など、「宿」のつく語について考えてみましょう。これらの言葉の大元は「宿世」であり、その語から派生的に他の語句が作ら れたと言ってもよい のです。
 仏教の因果律に照らして考えますと、いまこうしてこの世に生きていることにも必ず原因がなければなりません。そこで、過去の世すなわち前世が登場するのですが、この前世の別名が「宿世」です。
 鳥や虫に生まれず、いま私たちがこうして人間として生きているのは、宿世でやってきた善い行ないの結果だと考えるわけです。宿世でやった善き行ないを「宿善」、悪しきことを「宿罪」、そこから「宿縁」が生じて、今世で得る報いである「宿業」とつながってゆきます。したがって「宿願」は、宿世より持ち続けてきた願いということになります。
 このように「宿」が頭につく語句は、「宿世」につながっているものが多いのですが、ただし、よく使われる語である「宿命」にだけは注意してください。国語辞典には、宿命とは「一切の現象がそうなるよう予定されていて変えることができないこと。またその予定の生き方」と出ていましたが、これは仏教とは関係のない哲学上の解釈です。
 仏教語としての宿命は<シュクミョウ>と読み、宿世での生涯のことを指します。お釈迦さまは哲学で分類解釈されるような「宿命」はキッパリと否定なさいました。そんな宿命論が世にはびこっては、努力などあほらしくて誰も何もしなくなってしまうでしょう。一切の現象は相対的に因果関係をもって変わるのであって、善いことを重ねてゆけば必ず善い結果が得られます。修証義には己れに随い行くは只是れ善悪業等のみなり・・・善悪を弁まえざる邪見の 党侶には群すべからずと示されておりますので、これをはげみに日々修行を重ねてゆきましょう。

 

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