2025/05/02
精進」と「努力」は、いずれも懸命に頑張ることを意味する語のようですが、その本来の意味はまったく違うものです。そう申しあげると、怪訝(けげん)に思われる方もおられましよう。
「精進」とは本来、仏教の六つの修行徳目である「六波羅(ろくはら)蜜(みつ)」の四番目に数えられる行いのことです。六波羅蜜とは、「布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しようじん)・禅定(ぜんじよう)・智慧(ちえ)」の六つのことです。
したがって、「精進する」ということの裏には、常に布施、持戒、忍辱、禅定、智慧という他の五つの修行がつながっているわけです。特に最後の智慧に裏づけられていなければ精進とはいえません。いわば「努力」に「智慧」を足したものが「精進」なのです。
むかし、私が学校で授業を行っていた時のことです。あるとき、一匹の蜂が教室に迷いこんできました。刺されると大変なので、生徒たちはキャアキャア言って騒ぎ、まるで授業になりません。蜂もおどろいて逃げ出そうと懸命になっているようで、出口を探してぶんぶん暴れ回るので、生徒たちに戸を開けて外へ出してやるように言いました。
そういうわけで、ところどころの戸を開けてやったにもかかわらず、蜂は閉まっている戸のガラスにぶっかってばかりいて、なかなか出て行ってくれません。そうこうするうちに、一人の生徒が蜂をたたき落としてしまいました。それでやっと元の平静に戻って授業を再開できたのですが、それにしても、その蜂は何とあわれであったことでしょう。逃げ口が方々にあるにもかかわらず、出口をただーヶ所だけと心得て無駄な努力を重ね、しまいには殺されてしまいました。
私たちは、この蜂のような頑張り方をしてはいないでしょうか。努力と成功は必ずしも結びつきません。精進とは、悪を断ち善に向かうための努力をいいます。智慧を忘れることなく、日々精進して徳をつんでゆきたいものです。
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