生死とは

2025/04/25

「これは生死にかかわることだ」とか、「あの人と生死を共にしたい」等と使われる「生死」という語句ですが、これを通常は<セイシ>と読む人が多いようです。「生死」は、仏教語としては<ショウジ>と読み、単なる「生き死 に」という意味にとどまらず、生老病死の生涯全体を指し、さらには生死を繰りかえす迷いの世界をも指します。多くは「生死の苦海」「生死の闇」などとマイナス思考で用いられることが多いのですが、生死即涅槃という成句もあるように、決して否定的な意味のみにとらえられる語句ではありません。  ところで一般には、「生」は善いが「死」は悪いと考えられがちで、それが そのまま祝儀、不祝儀という習慣につながっています。したがって、生まれたら「おめでとう」、亡くなったら「ご愁傷さま」と挨拶されるわけです。しかし、この考え方は「生死」する本人に対しても当てはまるのでしょうか。生まれたての赤ちゃんや、逝去した当人に感想をきく術はありません。「生」と「死」を善悪で判断するのは、あくまで第三者から見てのことでしょう。
 そうは言っても、これを自分の「生死」として受けとめる時、「今までは人 のことかと思うたに、おれが死ぬとは、こいつあたまらん(太田蜀山人)」とばかりに、死を恐れる人は多いのです。そこで、死を恐れながら暮している人に申し上げたいと思います。
 あなたは、朝起きてからずっと、夜眠る時のことを考え、「眠くなったらどうしょう。どんな眠り方が良いのだろうか。眠ったあとどうなるのだろうか」等と考えて一日を過ごしますか?そんなことはありませんね。朝起きたら、今日一日の生命を燃やし尽くし、眠くなったら、「世の中に寝るほど楽はなかりけれ」と安眠するでしょう。これを一生のこととして考えてみればどうでしょう。生まれたら精一杯生きぬいて、死ぬ時が来たら安らかに眠る・・ いまは生きているのですから、前後のことは考えず、いまを生きぬきたいものです。押し流されて生きる凡夫の生死を分段生死、願生による仏の生き方を変易生死と言います。

お問い合わせ

お問い合わせやご質問等についてはこちらよりお願いいたします。
また、毎月の鬼子母神講(毎月8日 午後7時)や七面さま講(毎月18時 午後2時~)へのご参加も
心よりお待ちしております。

日蓮宗 妙栄山 法典寺
〒418-0023 静岡県富士宮市山本371-1
Tel.0544-66-8800
Fax.0544-66-8550


pagetop