しょっちゅう・不断・とかく

2025/05/23

 「初心忘るべからず」と、しょっちゅう注意されていても、とかく忘れがちなのが最初の志です。
 仏教では油断なく修行することが求められ、初めも善く、中頃も善く、終わりも善いようにと精進を続けているわけですが、この初めと中頃と終わりを「初中後」と言い、これがつまって「しょっちゅう」という副詞になったんですね。だから、「しょっちゅう」とは「不断」(普段とも書きますが、これは当て字です)という表現に近いと言えるでしょう。 「不断」とはもちろん、連続していて断たれることがないという意味ですね。初中後にはどうやら多少の間断があって、少しは気を休めてよい時がありそうですが、これが不断となると、常に緊張していなければならないから大変です。でも、仏さまは私たちのことを文字通り不断に見守っていてくださるのですから、有難いことです。
 ところで、阿弥陀さんの別名に「無量光仏」とか「不断光仏」という名があるのだそうです。この名は阿弥陀さんの光が無量であり、断たれることがないところに由来しています。三日坊主に終ってしまうことの多い底たちの精進と比較するなら、仏さまの慈悲の有難さが一層はっきりするというものです。
 次に「とかく」という語ですが、これは楞厳経(りようごんきよう)にある「兎角(とかく)亀(き)毛(もう)」という句に由来します。「兎角」とは兎の角、「亀毛」とは亀の毛のことで、実際にはあり得ないものの喩えとして用いられ、私たちの顛倒(てんとう)に警告を発する語です。私たちは兎の耳を見て角だと思ったり、亀の甲羅にからみつく静を見て毛だと判断してはいないでしょうか。注意しなければならないのは、真実を見誤って妄想し、勝手にそうだと信じ込むことです。
 このように、とかく妄想に落ち入りがちな私たちですから、不断に仏を念じ、本物をしっかり見誤らないように、初中後(しょっちゅう)精進していたいと思う次第です。

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