所得について

2025/05/30

所得・所有
 毎年二月になると税金のことが話題になります。近代国家においては財産を所有していたり所得があったりすると、国民はそれなりの税金を納めることになっております。
 ところで、実はこの「所有」とか「所得」という語も重要な仏教語なのです。ただし、仏教語の「所有」は<しょゆう>ではなく<しょう>と読んでゆきましょう。所得とは、参禅学道によって得た仏法の要諦に関する所見のことで、所有とは、その所見によって常に有するようになった法力を言います。
  <仏の道を彦めて所得を得、自分の所有する法力をもって、世のため人のためとなる>。これが仏教において最も大切なことですが、一方では無所得や無所有を強調する経典もあります。たとえば般若心経には「以無所得故」(いむしょとっこ)と出ています。ただし、この場合の「無所得」とは文字通りの無所得のことではありません。いったん覚えた上で忘れるのと、最初から覚えないのとでは全く違うように、この無所得は「所得」をさらに一歩進めた境地のことなのです。無所得とはもちろん、得ようとする心のないことです。 この無所得に至ることができれば、主客の対立や分別に執着しない、自由な心となれましょう。
 こんな昔話があります。ある貧しい人がひよんなことで大金を手に入れました。でも大金持ちになったその日から、泥棒に盗まれるかもしれないとか、紛失しては大変とかいう不安に始終つきまとわれることになってしまったのです。何も持たない頃はのんびりと暮らすことができたのに、いまでは常に落ち着かず、心配で夜も眠れません。いままで親しかった人とさえ仲良くつきあうことができません。そこでこの人は、とうとうそのお金を捨ててしまったそうです。何かを得ようとして苦しみ、得れば得たで苦しむ。人を疑い、敵を作り、差別し、執着する。そのような苦しみに耐えられなかったのですね。
 本当の空に徹するには、物的なものばかりでなく、知識とか悟りとかという所得もまた棄てて、全くの空っぽになることが要求されるのです。

お問い合わせ

お問い合わせやご質問等についてはこちらよりお願いいたします。
また、毎月の鬼子母神講(毎月8日 午後7時)や七面さま講(毎月18時 午後2時~)へのご参加も
心よりお待ちしております。

日蓮宗 妙栄山 法典寺
〒418-0023 静岡県富士宮市山本371-1
Tel.0544-66-8800
Fax.0544-66-8550


pagetop