信 心

2025/06/20


 先日、墓地でこんなことがありました。ある人が自分の家のお墓にお参りしていてふと側を見ると、そこに何と白骨らしきものがあったというのです。お墓の中から出てきたのではなさそうですが、何だか気持が悪いからと私の所に報告に来られました。
 そこで私が行って確かめましたが、それは間違いなく骨です。でもそれは人間の骨ではありませんでした。何か小動物の脚の骨で、猫か烏がその動物の肉を食べて、骨だけ置き去りにしたのでしょう。
 私がその人にこうお話すると、その人はホツとなさったようでしたが、それにしても人さわがせな骨です。しかし私は考えさせられました。なぜ人間の骨だと重大事件で、動物の骨だと捨て置かれるのでしょうか。これこそ重大な問題だと思いませんか。   
 そうです。人間の骨それは自分にとってかけがえのない尊い人の遺したものだから大切なのですね。ですから親族にとっては大切な宝なのです。お釈迦さまの遺骨である舎利が広く供養されるのも、皆がお釈迦さまを恋慕しているからに他なりません。お釈迦さまを慕って渇仰の心を起こし、教えを求めてこれを信心しているわけです。
 「信心」とは本来、「仏の教えを信じて疑わないこと」を指します。その「信心」があればこそ、物質としての骨を拝むのではなく、骨を通してその人を思い、仏を拝んでいるわけですね。また、「解の頭も信心から」と言いますが、「信心」するといっても、別に鰯を有難いと思っているわけではありません。鰯の臭さと松の刺が鬼を追い払ってくれると信じているわけです。
 現代は、心の時代といわれます。物を壊しても弁償さえすればよいと嘯いている輩に、その物が、他の何物にも代え難い母の形見であるかもしれないことを教えてあげましょう。
 遺骨や遺品に限らず、物には人の心がくっついています。いや物自体に心があるのです。ほんとうの「信心」があれば、そのことがわかります。

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