2025/12/12

一般大衆とか大衆芸能、大衆小説、大衆食堂・・等々、「大衆」という言葉を 使った熟語は大変多くありますが、仏教語本来としての意味はどうだったので しょうか。
「大衆」は、仏教語としては<ダイシュ>とか<ダイシュウ>と読まれ、特定の僧侶とその他の僧侶を区別するための語でした。たとえば、天台宗では教団の本来の構成員である学生のことを指しますし、禅宗で大衆といえば役付きでない一般の僧侶達をこう呼んでいます。
つまり、ある師僧の元に集まる多くの修行中の仲間が大衆です。大勢という数の点では同じですが、残念ながら一般語として使われるようになった大衆からは、修行という徳目がはずされてしまったようです。しかし、大衆としての本来の意味を考え併せるなら、向上心のない大衆ではいけません。日本に伝わった仏教は、大衆部として、大衆の立場から菩提道を追い求めた人たちを源流としています。
お釈迦さまは、多勢の人が知りあうことで社会団体ができるが、それには次の三種があると説かれております。その三種とは、
第一。権力や財力のある指導者のもとに集まった団体。
第二"ただ個々の都合のために集まり、都合のよい間だけ続く団体。
第三"教えを中心として和合を生命とする団体。
以上です。もちろん、このうちの真実の団体は第三番目の団体ということですね。和合衆は内部からいろいろな功徳を生むために、構成員はもちろん、他の団体や個人にも幸福を与えてくれます。正しい教えは、この地上に美しい真実の団体を作り、人々の心を育てるのです。
大衆は大衆でも、庶民と同義の「大衆」ではなく、本来の「大衆」、心を一 つにして真実の道にいそしむ、大きな和としての大衆であることを心がけたいものですね。

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