ありのまま

2026/05/22

如意・不如意
 先日ある家に招かれた時のこと、その家のご主人が、「手元不如意で、たいしたおもてなしもできませんが 」と挨拶されました。この場合の「手元」とはもちろんお金のことで、「不如意」とは思いどおりにならないということですね。また、孫悟空が持つ「如意棒」は伸縮自在で、この「如意」は〈意の如くなる〉という意味です。
これらのことから推し量ると、「如意」とは〈自分の思いどおりになる〉という意味に違いありません。そしてこの「如意」は、重要な仏教語の一つでもあるのです。
 「如」とはありのままの実体を指しますので、「如意」は〈ありのままを我が心とする〉というのが本来の意味になります。つまり、心に何の不満も拘りもなく、束縛されることのない自由な境地を指す語なのです。
 私たちは常々、思いのままに自由に暮せたら幸福だと思い、そのためにお金が欲しいとか、如意棒のように思いどおりになってくれるものが欲しいと思いがちです。ところが、そんなことでは絶対に幸福になれません。何故なら、人間の欲というものは限りなくふくれるものであり、一つの欲が叶えられると次から次へと欲しくなって、結局はいつまでも叶えられるということがないからです。たとえば、最初百万円あればと思った人も、百万円が手に入ると次は二百万円欲しくなり、二百万円が手に入るとさらに三百万円・・・と欲求が増えてゆくでしょう。そして、人間はいつでも「かなえられない」という不満を持ち、それにこだわり、自由を失つて暮していくことになるのです。
 そういう意味では、仏教で言うところの「如意」とは少欲知足のことであり、これこそ幸福に至る妙薬だと言えましょう。欲が少なく、足ることを知るこだわおの者には拘りがありませんから、心に余裕が出て自ずと思いのままになれるというものです。
もう一つ、お坊さんの扱う法具に「如意」というものがありますが、これは人の心に如意を与え、幸福を得るための法具と理解しておきたいものです。

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